風水とは?

風水とは?

 

「風水」ってどんなもの?と聞かれてみなさんがまず思い浮かべることは

 

「〇〇の方位に〇〇色のものを置くと金運アップ!」とか

 

「お掃除して家中ピカピカにすれば運気アップ!」のよう

 

お手軽なおまじないのようなものではないでしょうか?

 

このようなものだけを見て「風水なんてインチキくさいおまじないの一種だ」と思っている人は多いと思います。

 

また、このようなものだけを「風水の極意」と思って掃除と〇〇色のグッズ集めに励んでいる人も大勢いることでしょう。

 

実際、観光地のおみやげ屋さんや通信販売をみると「風水○○」と銘打ってはいるものの、風水とはまるで関係なさそうなグッズまでもが売られ、「風水」という名前だけが一人歩きしている状態にも感じられます。

 

しかし、風水というものは掃除でもなければ○○色の小物収集でもないのです。

 

では、これらはインチキ風水なのですか?と聞かれたらそういうわけでもないのですが、おおいに現代日本製の解釈だといえるでしょう。

 

 

なお、このように運気を上げようとする行為を風水では「催旺」といいます。

 

また、風水では悪い箇所を探し出し、凶を転化させることも必要になります。

 

この、凶を転化させることを「化殺」といいます。

 

 

基本的に風水というのは、気の流れや土地の形状、室内外の形状をみてそこに住む人にとって良い家かを選定したり、悪い箇所の改運をしたりするための「住宅環境学」の鑑定法・改善法なのです。

 

よって、家の周囲の形状、家相図やインテリアの配置、暦を抜きにして本当の開運風水を語ることはできません。

 

しかし、雑誌などの大衆メディアでは限られた誌面の中では各家屋それぞれで違う問題のある箇所すべてを解説することはできませんし、難しい専門的な内容よりも誰にでも楽に簡単にできる内容のほうが求められますので、汎用的な部分やお手軽な部分だけがクローズアップされて一人歩きしてしまうのです。

 

 

風水は診察と治療です。

 

風水が悪く運気が停滞している家=手術が必要な患者さん 
と例えるならば、
掃除=患部(家)の消毒
○○色のアイテムや置物=ばんそうこう
のようなものです。

 

患部(家)を清潔にするという点では消毒(掃除)は必要ですが、あえて「掃除こそ開運の極意である」と声高に提唱するほどのことでもありません。

 

運気を低下させている悪い箇所を鑑定して探し出し、ばんそうこうだけで治るのか、それとも骨折してしまっていて模様替えや部屋替えのような本格的な治療が必要なのかを見極めることはとても大切です。

 

患部(家)の形状や方位、運気に影響を及ぼす家具の配置などを正しく見たうえで治療法を決めなければなりませんので、適当にばんそうこうを貼るだけでは運気が改善されたとはいえないのです。

 

 

 

 

風水には陰陽五行や易など、中国古来の思想がふんだんに盛り込まれています。

 

風水を学ぶことは中国の古代の思想を学ぶことでもあり、現代の華僑たちの成功に学ぶものでもあります。

 

風水という中国古来の開運法に効果があるのかは、風水都市である香港や台湾、世界中の華僑たちの経済的成功と中国本土を見比べれば一目瞭然です。

 

社会主義の道を歩んだ中国では、1960年代に始まった文化大革命によって神仏の信仰や占術などの迷信じみたことは一切排除されてしまいました。

 

しかし、外国の領土とされており文化大革命の影響を受けなかった香港や台湾は、特に大きな産業も資源もない小さな地域であるにもかかわらず経済的成長を続け、目覚ましい発展を遂げました。

 

もちろん、香港や台湾の人々全員が風水などの開運法を実践していたとはいいませんが、運命をより良い方向へ動かしていこう、運を切り開いていこうという高い意識と向上心、努力する気持ちと実行力をもつ者だけが成功していったといえるのではないでしょうか。

 

 

 

さて、そもそも風水はいつごろ中国で生まれて、いつごろ日本に入ってきた占術なのでしょうか?

 

風水の起源は黄河文明の頃、「いかに安全で暮らしやすい場所に住むか」という住環境の研究から始まり、その後中国の戦国時代に生まれた五行思想や暦占術、民間道教を取り入れて発達し、後漢頃には風水の基礎のようなものが確立されていきました。

 

そして、晋の時代(三世紀頃)には死者の住居である墳墓をより良い場所に求めることが非常に重要視され、日本にも陰宅風水として伝えられました。

 

ただ、日本ではあまり「風水」という名称は広まらず、飛鳥・奈良時代に同じくして大陸より伝わった奇門遁甲や暦占、天文学とともに、奈良から平安時代に発達した陰陽道の中に融合していったようです。

 

最初の風水ブームはすでに墓地選定法として飛鳥時代に訪れ、平安時代には国家的プロジェクトとして藤原京や平安京などの都の造成のために活かされていたのです。

 

平安京が東に青龍、西に白虎、南に朱雀、北に玄武という四神に守られた四神相応という、風水では理想と考えられる地形になぞらえて作られた都市であるということを聞いたことがある人も多いかと思います。

 

四神とは、奈良の高松塚古墳やキトラ古墳の壁画にも描かれている四方位を守る四柱の獣神で、これらになぞらえた四神相応の地とは、「東に流水があり、西に大きな道があり、南に池やくぼ地があり、北に丘陵がある」という地形のことです。

 

平安京は東に鴨川、西に山陰道、南に巨椋池、北に船岡山があることによって選ばれた四神相応の地であるといえるのです。

 

中国と距離も近く、当時より国交も盛んであった琉球では本土とは異なった経緯で風水が伝わり、陰宅風水=墓相を中心に独自の発展を遂げていきました。

 

本家の中国では明から清の時代にかけて研究がおこなわれ、さまざまな流派に細分化していったのですが、北方の異民族・満州民族が支配した清代やその後の戦争での混乱、社会主義政策と文化大革命などによって中国での風水は徐々に影を潜めていきました。

 

 

風水とは?

 

 

平安京があった場所はこちら


HOME 通信講座 メール鑑定 プロフィール お問い合わせ